「エンタメビジネス全史」中山淳雄
中山淳雄さんが書いた「エンタメビジネス全史」という本は、映画、マンガ、アニメ、ゲームなどびエンタメ産業が日本でどのようにして興り、どういう経緯で歩んできたかを、簡潔に明快に書かれているすごく充実した読み物だ。
そして、この本の中で「音楽」のページにはこういう文が書かれている。
「「音楽を人に聴いてもらって対価をもらう」というビジネスモデルは、想像以上に脆弱である。音楽は誰でも作れるし、聴く人は日常的に無料で聴いている。そこに市場を発生させるには、巧妙に構築された「仕組み」が必要である。「仕組み」はテクノロジーに支えられているが、それゆえに新しいテクノロジーが出現すると「仕組み」そのものが覆され、新しい市場を生み出していく」
まさに、仕組みが覆された真っ只中に音楽産業はいる、僕が言うまでも無いことだけど。
そして、この本ではあらためてこう言い切っている。
「そもそも「権利」という概念を獲得するまで、音楽は空気や自然のようなものだった」
(「エンタメビジネス全史」)
この本によると、「曲を切り売り」していて浪費家でもあったモーツァルトは貧乏生活に追われ、「著作権」が確立する時代にいたプッチーニは年収数億円稼いでいたという。
<才能>より<どういう時代に居合わせたか>が音楽家の生活を大きく左右してしまう、というわけだ。
そして、根本の話として、音楽ビジネスというのは、音楽自体の歴史のなかでは”ほんの最近”できたようなものなんだなあ、とあらためて思った。
中村とうようさんが書いた「ニッポンに歌が流れる」を読むと、日本の”芸能人”の成り立ちは、農耕民族に征服された、農業のできない非定住の狩猟民族が<農業をやる人たちの喜びそうな呪術的芸能をやって見せて、食物をもらう>というものだったらしく、その後、支配階級が大陸から渡ってきた音楽(雅楽)を、天皇の宮廷音楽に採用していき様々なジャンルに発展していったというもう一つの流れが生まれたのだという話がある。
一般大衆を<喜ばせる>芸能色の強いものと、権力や富を持った層の<心をくすぐるような>文化的な色の濃いもの、ということか。
どちらにせよ、音楽を演奏する側にしたら、ビジネスとはとても呼べない、主導権のない<弱い立場>にあったわけだ。
楽譜販売からレコード、ラジオ、CD、インターネットと音楽を楽しむツールが変わるたびに、それまでのビジネスモデルが崩れ、<人前で直接演奏し対価をもらう>という音楽の最も根源的な活動だけがどんな時代でも成立するものとして、蘇ってくる、そんな繰り返しという実感がある。
(少し前にライヴ配信に<投げ銭>するというシステムが出てきた時に、僕にはそれが新しいものじゃなく、<振り出しに戻った>ように思えてしょうがなかった)
楽譜、レコード、CDという、音楽を”目に見える作品”として売ることができた時代は、すごくスムーズに音楽を”商品”にすることができた。
だけど、それが崩壊してしまった今は、まさに新たな仕組みを作ろうという試みがあちこちで行われている。
ただ、レコード、CDに完全に取って代わるような<大きな柱>はこれからはもう出てこないんじゃないか、という予感はある。ライヴ、サブスク、物販(CD含む)、そしてNFTなどをアーティストが自分のスタイルに沿って巧みに組み合わせてゆく戦略がこれから必須になるのだろうな、と思う。
僕が音楽の仕事をしているので<音楽>に絞って書いたが、「エンタメ全史」は<興行><映画><出版><マンガ><テレビ><アニメ><ゲーム><スポーツ>の各ジャンルが日本においてエンタメビジネスとしてどう生まれ、どう歩んできたかが明快に解説されている。
斜陽国”ニッポン”の生き残りは、<エンタメ><観光>が大きく鍵を握っている時代だから、あらゆるビジネスマンが読んでおいて損のない本だと思う。
「経済はロックに学べ」アラン・B・クルーガー
サブスクで世界中のいろんな曲が聴ける時代なのに、ビジネスとしてはごく一部の勝者が総取りしている現状をわかりやすく書いた本
「経済はロックで学べ」(ダイヤモンド社)はロック好きな経済学者アラン・B・クルーガーが、アメリカの音楽業界の現状を”経済”という視点で分析した本だ。
ちなみに原題は”ROCKONOMICS”、ROCKとECONOMICSをくっつけた造語になっている。
この本で取り上げられているデータはコロナ以前2017年のものだが、その時期、アメリカ音楽産業の売り上げはストリーミングや出版など音源販売に関わる売り上げとライヴ関連の売り上げがほぼ半々だったという。
アルバムの売り上げに関しては、トップ0.1%のアーティストの売り上げが、全アーティストの売り上げの半分以上を占めていて、コンサート売り上げのうち、上位1%のアーティストの売り上げが全体の60%を占めていたのだそうだ。(1982年では上位1%のアーティストのシェアは26%だったとのこと)
売り上げにおける”スーパースター”への集中が、とてつもなく大きくなっている、ということだ。
また、そのスーパースターたちの収入のほとんどは印税ではなく、ライヴによるもので、例えば2017年当時、ポール・マッカートニーが82%、ビリー・ジョエルが90%、U2が96%、ビヨンセが88%をライヴ売り上げが占めていたそう。
印税で、一生はおろか、もう何生でも(?)暮らせそうなスーパースターが、ライヴ・ショーで稼いでいる。そして、それが現在のアメリカの音楽業界のビジネスの中心になっているというわけだ。
考えてみれば、近年ボブ・ディラン、ポール・サイモン、スプリングスティーンやスティングといった超スーパースターが自身の楽曲の権利をレコード会社に売却しているが、音楽の聴き方がストリーミングへ大きくシフトしたため、自身の生み出した名曲を持ってしても、かつてのような富はもはや稼ぐことはないだろう、だったら、価値があるうちに高値で売ってしまおう、そしてそれで得た資金を別のものに運用したほうが不確かな未来のことを考えた時には賢明だ、そんな判断もそこにはあったのかもしれない。
それから、スーパースターというのはもはや個人ではなく一つの”企業”であって、自分だけ暮らしていければいいわけではない。たくさんのスタッフの生活も支えている。そうなると、売り上げを維持していくには、音源の売り上げや印税では全然足らないので、新譜も出さないのにせっせとツアーに出るしかない、そんな事情もあったのだろうと推察した。
さて、日本に目を移してみると、アメリカと日本では音楽業界事情には違いはあるのだが、大きな傾向としては共通している点は多いように感じる。
それは、”勝者総取り(Winner Takes It All)”の傾向がどんどん強まっている、
ということだ。
コロナ後、ライヴにお客さんが戻ってきても、動員できているのは有名なアーティストばかりだということも耳にするし、ネットの世界を見れば、バズったアーティストへの一極集中の傾向は明らかだ。
今は本当にいろんな人が音楽を自由に発表できるようになっていて、それは本当に素晴らしいことだと思うけど、ビジネスの面だけで見たら<入り口はものすごく広がったのに、成功するアーティストはかなり減っている>というのが現状なのだ。
ただ、一般の人たちにとっては、CDは売れなくなったことはわかっていても、TVの歌番組だけを見ているだけだったりすると、アーティストが新しく入れ替わっているだけで、昔とそんなに変わっていないと思っているのかもしれない。
僕もずいぶん長く音楽の仕事をしていて、昔から付き合いのある人たちと結構やりとりが続いてもいるので、昔から変わらないような錯覚を持ってしまうことも正直あるのだが、ビジネスとしてさまざまなデータを数字として目の当たりにすると、10年前、20年前の音楽業界とは完全な別世界、外見は一緒でも中身が全く異なる”パラレル・ワールド”にいるのだ、と思い知らされるような、愕然とした気持ちになる。
こういう今の現状を分析したデータは、これからアーティストを目指す人にとって必要なのものだと思うが、CD中心の”昔の音楽業界のシステム”に馴染んでしまったアーティストたちの意識を変えるためにも大事だと思う。これは、なかなか大変なことかもしれないが、もはや避けられない。
「経済はロックに学べ」にはこういう一説が出てくる。
「今日、録音された音楽はミュージシャンにとって、基本的には名前を売るための方法になった。ツアーとそれ関係の物販でスーパースター・レベルの稼ぎを手に入れようというのがミュージシャン側の作戦なのである」
音源を作って売ることをメインの生業とする”レコーディング・アーティスト”という職業は消滅した、と思ったほうがいいのだろう。
それを考えると<CDにとって替わるものとしてのサブスク>という考えは速攻捨て去って、サブスクはあくまでも重要なプロモーションツールとしてとらえ、アーティストの収入源としては”副次的なポジションに置いたほうがいい。
じゃあ、どうやってやっていくの?と考えると、僕にもよくわからない。そうすると、やっぱり一度原点に立ち返る、しかなくなってくる。
音楽アーティストというのは、本来は人前でパフォーマンスをする生業であるのだから、”ライヴ”を中心にすべきじゃないかと。
ライヴは音楽をめぐるシステム、インフラが変わろうと、普遍の価値を持つものだ。
これからのアーティストは”ライヴ”をメインにすべし、というのが正解だと思うし、実際にそうしているアーティストも多い。
そこで大きな問題になるのが、「経済はロックに学べ」にも書かれていた”勝者総取り”の現状。勝者以外の情報はリスナーになかなか届かず、よってライヴも動員が苦しい、それを打開する”すべ”はあるのか、ということになる。
勝者総取りでいいじゃないか、という意見もあると思う。今はどの産業でもみんなそうなんだから、と。
ただ、人間の”多様性”が大きく取り上げられる世界で、かつてないほどに”多様な”音楽が生み出されているのに、ごく偏ったジャンルの音楽しか人々に届きづらいというのは、とてももったいない、残念なことだと僕は感じてしまう。
多様なジャンルの音楽が活発になることでこそ、音楽ビジネスそのもののパワーも大きくなっていくはずだし。
漠然とはしているが、多種多様なジャンルの音楽コミュニティが、それぞれに見合った”サイズ”で自由に、時には他のコミュニティとも交流しながら活動してゆく世界、そんなものを僕はイメージしている。
「道は開ける」「人を動かす」D・カーネギー
読者と同じ目線を徹底し、膨大な素材を集めブラッシュアップすることで、時代を超えることができたメソッド
デール・カーネギーの二冊「道は開ける」、「人を動かす」は自己啓発書のバイブルといって間違いない。本屋さんの自己啓発書のコーナーでこの本を小さく扱っているのを見たことがない。
「道は開ける」とか「人を動かす」とか日本語のタイトルだけを見ると、モーゼみたいな指導者か、安岡正篤や中村天風みたいな思想家の大先生が書いたものかと思ってしまうが、
原題を見てみると
「道は開ける」が「How to Stop Worrying and Start Living」(心配するのをやめて、生活を始める方法)
「人を動かす」が「How to Win Friends and Influence People」(友だちを得て、人々に影響を与える方法)
と、とっても実践的な<How To 本>なのだ。
大抵の<How To 本>の多くは、私はこうしたら成功したよ、といううまくいった人の経験談がメインになっているが、カーネギーの場合、とにかく取材と読書で実例をかき集めてセレクトしていて
そして、なんといっても”先生”のような上から目線じゃなく、悩みを抱えた人たちと同じ目線で書いている、ここがこの本の素晴らしさであり、説得力のあるところだ。
「道は開ける」の序文にこういうことが書かれている。
「35年前、私はニューヨークで最も不幸な若者の一人だった。トラックを売って生計を立ていた。私はどうやってモータートラックが走るのか知らななかった。それだけではなく、知りたくもなかった。私は自分の仕事を軽蔑していた。ゴキブリがはびこる西56丁目の安家具付きの部屋に住むのは大嫌いだった。今でも覚えているのは、壁にたくさんのネクタイがかかっていて、朝、新しいネクタイを取ろうと手を伸ばすと、ゴキブリは四方八方に散らばった。ゴキブリがはびこっているであろう安くて汚いレストランで食事をしなければならないことにうんざりしていた」
そこから彼は一念発起して仕事を辞め、教師になる勉強をしていたことを活かし、話し方講座を始め、Y.M.C.A.の夜間クラスの仕事についた。そこの生徒たちは大学の単位を取るためじゃなく、教養を身につけるためでもなく、実社会に役に立つメソッドを求めていた。
「最初は人前で話すことだけを教えていたが、年月が経つにつれて、大人たちは友人を獲得し、人々に影響を与える能力も必要としていることがわかった。人間関係についての適切な教科書が見つからなかったので、自分で書いた。いや、普通の方法では書けなかった。このクラスで学んだ大人たちの経験から育ち、発展したものだ。私はその本を『How to Win Friends and Influence People(人を動かす)』と名付けた」
彼の「人を動かす」は、成功者が語るノウハウではなく、成功体験を持たない一人の教師がクラスの生徒に役立つように、教材となるべき情報を集め、クラスでの経験をもとに日々ブラッシュアップしていった教科書なのだ。
初めはカードからリーフレット、そして小冊子へと分量を増し、彼は哲学書から心理学書、偉人の伝記まで大量に読破し、授業のための素材を収集して研究を続け、有名人や実業家にインタビューをし、図書館で文献調査をする人まで雇ってエピソードを蓄積していったという。
「人を動かす」話し方講座を始めて25年、対人関係の教材づくりを始めて15年経っていたそうで、カーネギーはすでに48歳になっていたという。
その12年後に「道は開ける」が出版されたが、これはカーネギー自身が、常に心配事で頭がいっぱいになってしまう人物だったらしく、彼自身がその対処法を求めていたわけだ。
メガネのオンデーズの社長の田中さんが、ビジネスで成功するためには、他の成功者の体験談やノウハウは、個性も時代やタイミングも違うから役に立たない、という発言をしていてなるほど、と思ったことがある。
しかし、カーネギーのメソッドは、成功を目的とするのではなく、対人関係の改善や、自身が悩んだ時の解決法であり、具体例もたくさん載せられているので、悩んだり迷ったりしている時に、手にとって適当に開いたページにおおっと思うようなことが書いてあったことが、僕は何度もあった。
僕は気持ちがへこむことが多いので「道は開ける」を手にする機会が多いのだが、自分の頭のなかとは一旦距離を置いて、「人を動かす」にあるような人間関係を良くする具体的なメソッドをとにかく実践するのもすごく効果的かもしれない。
人間関係が好転すれば、かなりの確率で悩みは減少するものだから。
いろいろ読んでみても、結局戻ってきてしまう二冊だ。
ちなみに、彼は不遇時代、それまでの仕事を辞めることを決意した時にこう思ったそうだ。
「私は書くために生き、生きるために書きたかったのだ」
(I wanted "to live to write and write to live".)
「読みたいことを、書けばいい。人生が変わるシンプルな文章術」田中泰延
僕自身がそうなのだが、自分のブログをいくつも持って書いている。
文章を書くことは苦手じゃないと思っているのだが、たびたび途方に暮れる。
道に迷ってる気分になる。
そんな人に薦めたいのがこの本だ。
明快だ。
この本自体が、こんな感じでブログを書くべきという見本になっている。
「読みたいことを、書けばいい」ということは
自分が気持ちがのっている状態で文を書け、ということでもあるのだろう。
確かにその人の気持ちが入っていない文章は読んですぐわかるし、つまらない。
もうひとつ、文を書くことで金儲けしようとか、承認欲求を満たそういうのはかなりコスパが悪い、ということも筆者は語っていて、確かに、まず自分が楽しくなきゃ続けられない。
ブロガーへの「文章読本」と読んでもいいこの本の教えの、一番の真髄は
「物書きは「調べる」が9割9分5厘6毛」
「ライターの考えなど全体の1%以下で よい」
「1%以下を伝えるためにあとの99%以上が要る」
というところだろう。
ネットやムック本や新書をちゃっちゃと調べるのではなく、一次資料を徹底してあたり、そこに立脚して好きなことを書け、というわけだ。筆者の場合、国会図書館に通い続け、石田三成のコラムを牡蠣それが大評判になっている。
それにはとんでもなく及ばないが、僕があちこちに書いたブログでも、調べることにかなりの時間をかけて書いた音楽ブログが圧倒的にアクセスが多い。
そして、いろいろ調べてみてなるほどそういうことだったのか、と腑に落ちると、何か新鮮な喜びもあって筆も進みやすい。
若くとても才能のあるミュージシャンから、いろんな音楽を知るツールとして僕のブログがすごく役に立っていますと突然DMをもらった時は本当に嬉しかったし、僕よりも年配のかなりマニアックな音楽ファンの方からも連絡をもらって交流するようになった。
筆者はこう書いている。
「自分のために書いたものが、だれかの目に触れて、その人とつながる。孤独な人生の中で、誰かと巡り合いこと以上の奇跡なんてないとわたしは思う」
「「読む」だけで終わりにしない読書」本要約チャンネル
タイパ重視の世の中を象徴するものの一つが「本要約」系のYouTubeやブログだ。
じっくり本を読んでいる時間がないから、こういうものをチェックしてざっくりとした内容だけチェックしておくわけだ。
そんな「本要約」系YouTubeの中でもトップクラスの人気を誇る「本要約チャンネル」の主宰者が書いたこの本は、
読書とは”実際に読んで、実践するたこと”が大事で、その本を選ぶ際の情報源として
「本要約サイト」を有効的に使え、と言っています。
日常で実践してこその読書だ、という実践型、行動型読書のメソッドが書かれているのがこの「「読む」だけで終わりにしない読書」だ。
一日本を五冊読み、毎日定時に本の要約動画をアップする、というだけで頭が下がるが、本に書かれていることをとにかく実践し続けているというから驚く。
ただ僕も自己啓発書やビジネス本、健康本、勉強法の本などは、読んで実践しないと意味はないと思ってきたので、この本のポリシーには100%賛成する。
もはや情報をどれだけ持ってるかは全く意味がないことは誰もが気づいているし、問題を抱えた一人の人間として腹にストンと落ちたものや実際に体を使った経験と哲学が、その人の個性になって価値を持つ時代なのだ。
そのために読書は最も有効なツールになるということだ。
例えば、
「本を買ったら熱が冷めないうちにすぐ読む」
僕は昔から「積読(つんどく)」はテンションが上がらないからやらないので納得。
「本を読む前に、5分の軽いランニングをする」
「15分だけ本を読んでみる」
これは集中力を出すメソッドなので、テレワークなどの仕事にも利用できそうだ。
「読みながら、もしくは読んだ後、メモをとる」
実はこのブログ自体、読んだことをもう少し頭に入れたくて、読書メモの発展として書いている。
この本にはもっと踏み込んだノウハウ、著者が実践し効果を実感したノウハウが数多く語られている。
本要約ブログには、目次と、一章くらいしか読んでないんじゃないの?というものも散見するが、さすがに「本要約」YouYubeに本家の彼らは、自分たちはっきりとした哲学を持って、手抜きをしていない、だからこそフォロワーが増えるんだな、とあらためて思った。
「とにかく死なないための「しょぼい投資」の話」えらいてんちょう
老後には少なくとも2000万円必要だという報道を目にして、僕は大至急見て見ぬ振りをした人間だが、そんな人のために書かれているのがこの本だ。
タイトルだけ見ると飄々としているが、内容は、経済的弱者に対していたって真剣なアドバイスが綴られている。
ネットや本などをいろいろ見てみても、2000万円稼げる手立てのない人間に残された道は「投資」しかない。しかし今まで「投資」などやったことはないし、今から始めて大きく儲ける自信も正直ない。
だいたい2000万円という額も、今の世の中を基準に算出しているわけで
「2020年の時点で2050年にいくら必要になるかの予想は、絶対と言い切っていいほど当たらない」
と作者は断言する。もっともだ。
2000万円問題にパニックって、よくわからないまま人に勧められた投資をして爆死する方が危ないと。
バブル期のような「上がる乱世」の時代は投資でバンバン儲けた人が生まれたが、今の時代のような「下がる乱世」では大きく儲かる確率は低い、という。確かに。
「『将来の不安』のために投資するな」
僕らは絶えず未来への漠然として不安をひたすらエネルギーにしながら、SNSやYouTubeに没頭したり、衝動買いやグルメに走ったりしている。「将来の不安」に惑わされたアクション、そこには出口はない。
もし株を買うなら、自分が玄人に負けないくらい詳しい分野の会社や、応援したいと思える会社にするべきで、大儲け、一人勝ちは絶対に狙わず他の大勢の人と一緒に動くべきと筆者は言う。
この見えない不安に満ちた世の中で、手元に大した金もない人間が、成功や勝利を狙っても手にする確率は低い、「とにかく死なない」ためのアクション、作者の言う「誰もが安泰じゃない社会で生き残る方法」を見つけていくしかないのだ。
そこで、この本の特徴なのだが、
お金だけではなく”人間関係”も「資産」であり、今のような世の中ではなおさら「人から助けてもらえる」状況を事前に作っておくことが大事なのだと作者は言う。
「投資というのは通帳の額面を増やすことではなく、あなたが持っている資産(人間関係も含めて)の総量を増やすことである」
「損をしにくいのは「たくさんの人を味方につける」ということなのです」
持っているお金は株を買うだけではなく、人にちょっとした贈り物をするとか、相手が商売をやっているなら何か買ってあげるとか、そういう日頃の付き合いこそ大事。
先日このブログで取り上げた「最高の体調」(鈴木祐)でも、「私たちの体を健康にし、心を幸福にしてくれるのは『良い人間関係』です」
とあったが、
これからの時代は、自分のまわりの人間関係をしっかり見直していくことが最優先なのかもしれない。
「限りある時間の使い方」オリバー・バークマン
「限りある時間」だからこそ、あえて無駄にすごすのもまた大事
「限りのある時間の使い方」はいかにタイパ(タイムパフォーマンス)をあげてゆくかについての本ではなく、いかにタイパに追われる生活から逃れて、自分らしさを取り戻していくかについての本だ。
僕たちが生きる今の世界は”不安と焦り”を一番の燃料にして動いているようだ。
僕らは”不安と焦り”からひとときでも逃れたり、紛らわしてくれるものにお金を使っている。
「僕たちが気晴らしに屈服するのは、自分の有限性に直面するのを避けるためだ。つまり、時間が限られているという現実や、限られた時間をコントロールできないという不安を、できるだけ見ないようにしているのだ。」
SNSを見ても、ネガティヴな発信をする人に限らず、充実した自分をアピールする人からも”不安と焦り”が垣間見える。
その”不安と焦り”が、一番反映されてしまうのが”時間の使い方”だ。
仕事だったり、推し活だったり、何かに依存していないと、多くの人の心はきっと不安に飲み込まれてしまう。
タイパ(タイムパフォーマンス)は、現代人、特に若者の時間の使い方を示す象徴的な言葉だ。
短尺動画、コンテンツの倍速再生、SNSのタグ検索での情報収集、内容がわかっているものを買う(ネタバレ消費)など、徹底的に効率を重視する。
仮にタイパを極限まで上げることができて、たくさんのことをやれたとしても、どこかに到達できるわけではない。もっと、もっと、と不安に駆られてエスカレートするだけだ。タイパ、そのものが目的に変わってしまう。
この本の原題は「FOUR THOUSAND WEEKS」。4000週間。80歳まで生きるとした年月の長さを週に換算したものだ。僕は50歳後半なので残り1,000数週間しかない。。
そう考えるとまた焦ってしまうのだが、焦ってその日にいろんなことを詰め込んでしまうと、その反動で翌日は朝から疲れ果てている自分に気づくのだw。
その負のループから逃れるために、ある種の”あきらめ”を取り入れることをこの作者は推奨している。
例えば、自己啓発書やマインドフルネス、スピリチャル系の本で必ず出てくる「今に集中する><今を生きる>ということも、今に集中しよう、しようと意識することで、今の瞬間を何かの目的に従わせ、ただ時間をコントロールしようとすることに変わりないという。
「今を生きるとは、今ここから逃れられないという事実を、ただ静かに受け入れることなのかもしれない」
そして日々の生活の中に
「何らかの達成を目標とするのではなく、ただ活動そのものを楽しむこと」
「少し恥ずかしいくらい」で「ちょっとした気まずさを感じる」趣味を持ち
「無益なことを追求する自由。何も気にせず、下手くそなことを楽しむ自由」
を勧める。
またタイパの呪縛から逃れるのに何よりも重要な能力は「忍耐」だという。
それにはこういう前提がある。
「誰もが急いでいる社会では、急がずに時間をかけることのできる人が得をする」
何かにつけすぐに焦ってしまうクセのついた自分を戻すには
<問題は常にあるものだと思って慌てて解決しようとせず><小さな行動を毎日コツコツ繰り返し><今の自分の現在地をゆっくり楽しむ>ことを勧めている。
焦ったり不安に駆られた時こそ、一度立ち止まって何もしないで過ごしてみるのもいいのかもしれない。
限られている人の時間を一番充実させるのは、経験や実績をひたすら詰め込むではなく、最大限、自分を生き生きさせること、だろう。
それは単に個人的な欲望を満たすことではない。例えば、他の人たちとの団体で同じ行動する効能についてもこの本には書かれている
気晴らしや刺激ではなく、自分がどんなことに充実感や至福感を得る人間なのかを再チェックしてみるのがいいのかもしれない